石川県羽咋市にて行われた「津軽三味線とフラメンコギターライブ」が好評を得る。
フラメンコと日本芸能をはじめとする異文化コラボレーション集団「フラメンコと日本の伝統芸能の会」発足
第2回「津軽三味線とフラメンコギターライブ」がコロナ禍の為に秋に延期となる。
後進を育てる為、会の所在するESTUDIO ARTEにて津軽三味線レッスンを開始
延期となった「津軽三味線とフラメンコギターライブ」がコロナ禍のため中止となる
パフォーマンスを行う際の集団名を「一足二丁」と定める
会の旗揚げ公演となる「寶納~HOUNOU~」が石川県かほく市の西田幾多郎記念哲学館にて開催
2020冒頭から始まった未曾有のコロナ禍。
春に行われた緊急事態宣言による自粛が決定される少し前、得体の知れないウイルスの恐怖に世の中が少しずつヒステリックになっていったあの頃。
音楽や芸能、舞台芸術などに対する「不要不急」の特に「不要」という言葉に違和感を覚え、その違和感についてずっと想いを馳せていた。
ふっ、と答えが降りてきた。
「天照大神の面目はどうなるのだ!?」と。
天岩戸伝説とは・・・、
我が兄弟の狼藉ぶりに激昂した太陽の女神、天照大神が天岩戸に引きこもり暗黒の世の中となってしまった。
困り果てた八百万の神々は天照大神を岩戸から出てこさせるため飲めや歌えやの宴会を催す。
それだけでも十分天照大神にとっては気になるのに、今でいうところのダンサーであるウズメノミコトが踊り出し宴会は最高潮に盛り上がる。
「私がいない間に何を楽しそうなことをやっておるのだ?」と、そぉっと隙間からのぞき見をした天照大神を力自慢のタヂカラヲが岩戸をこじ開け太陽の女神を外に連れ出しそして世の中に光が戻ってきたという伝説。
古事記の時代には芸能がどんな役割を果たすのかこんなにもはっきりと明記されている。
それが人間の自然な営みなのではないだろうか。
そう思い至ったらナニカがすとんと腑に落ちた。
食べる、寝る、生きる。
それだけの人生でもきっとナニカはある。
けれどもそこに心癒してくれる音楽があったら。
血沸き肉躍る熱狂の踊りがあったら。
世の憂さをひとときでも忘れることの出来る非日常の舞台があったら・・・・。
ナニカ、はきっともっと沸く沸くと膨らみ豊かになるはず。
豊かになれば心ほぐれる。
心ほぐれれば誰の心にもあるであろう、天岩戸もきっと開くはず。
そう、何のために奏で踊り企てるのか天照大神が教えてくれている。